東京地方裁判所 昭和37年(行)134号 判決 1963年7月29日
判 決
東京都府中市晴見町四丁目一〇番地の一府中刑務所内
原告
木下立嶽
東京都府中市晴見町四丁目一〇番地の一
被告
府中刑務所長
小和田康長
右指定代理人検事
片山邦宏
同法務事務官
鈴木智旦
同
中居光蔵
右当事者間の昭和三七年(行)第一三四号行政処分の違法確認請求事件について、当裁判所は、次のとおり判決する。
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は、原告の負担とする。
事実
第一、当事者双方の申立
一、原告の申立
被告は、原告の頭髪を、調髪の必要ある場合を除き、強制翦剃してはならない。
訴訟費用は、被告の負担とする。
二、被告の申立
1 本案前の申立
本訴を却下する。
2 本案についての申立
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は、原告の負担とする。
第二、原告の請求原因
一、1 原告は、昭和三七年九月三日東京地方裁判所において、詐欺罪により「懲役一年六カ月に処する、未決勾留日数中一五〇日を右刑に算入する」旨の判決を受け、同年一一月二〇日より府中刑務所において服役中の者で、昭和三八年一〇月四日刑期満了の予定である。
2 原告は、府中刑務所に入監するに当り、被告に対し原告頭髪を強制翦剃しないようにとの要望書を提出したが、被告は昭和三七年一一月二三日以来二〇日間に一回の割合で、原告の頭髪を翦剃(いわゆる丸坊頭刈りにすること)し、原告が再度書面をもつて、頭髪の翦剃を拒否する旨を被告に告げ、また担当看守の頭髪翦剃のための呼び出しに応じなかつたところ、被告は、今井文孝看守長をして、原告が頭髪翦剃に応じないときは懲罰に付する旨威嚇させ、また嫌がる原告の両手を捉えて翦剃場所に同行して、原告の頭髪を強制的に翦剃している。
二、しかしながら、頭髪を強制的に翦剃することは、別紙一記載の理由により憲法に違反し、違法であり、本来許されないはずであるにかかわらず、被告は将来なお強制翦剃を実施する態度を堅持しているので、その差止を求める。
以上が請求の原因である。
三、被告の主張に対する原告の反駁は、別紙三記載のとおりである。
第三、被告の答弁と主張
一、原告の請求原因第一項は認める。
二、被告の主張は、別紙二記載のとおりである。
第四、証拠関係
当裁判所は、職権で、鑑定人橋本公亘、同平野龍一、同佐藤功、同正木亮及び原告本人を尋問した。
理由
一、本訴の適否について
被告は、本訴を不適法としてその却下を求めるが、その趣旨は、行政庁に対し行政権の不行使を命ずることを求める訴は、三権分立の原則上許されないといううことにあるものと解される。よつて、まずこれについて判断する。
原告の主張によれば、受刑者たる原告に頭髪の翦剃を強制することが基本的人権の保障に関する憲法の規定に違反するというのであつて、この原告の主張が正当であるとすれば、被告は原告に対し頭髪の翦剃を強制する権限を有せず、かような違法な権限行使のおそれがあるかぎり、原告は被告に対しその不作為を要求する権利があることは当然であつて、かような具体的権限の存否ないし不作為請求権(或いは不作為義務)の存否に関する争いが個別的、具体的権利関係に関する争いであることは明らかである。
しかも行政行為の実行が基本的人権の保障に関する憲法の規定に違反するかどうかというような問題は、本来、裁判所が第一次的に判断すべきことがらであつて、かような問題についての行政庁の第一次的判断権は重視するに値しないものであるのみならず、本件において当事者間に争いのない事実によれば、被告は、監嶽法第三六条、同法施行規則第一〇三条に基づき、原告の入監以来約二〇日間に一回の割合で原告の意に反して翦剃(いわゆる丸坊頭刈にすること。)を実施して来ているというのであつて、将来もこれを継続する意思であることは本件口頭弁論の全趣旨に徴し明らかであるから、将来強制翦剃を実施すべきかどうかについて改めて被告の判断を経由するまでもなく、この点についての被告の第一次的判断権はすでに行使されたに等しい状況にあるものということができる。
他面、頭髪の翦剃は、いつたん実施されれば、原状に回復することは不可能であり、その意味において、事前の差止を認めないことによる損害は回復すべからざるものであり、現行法上、事前の差止めを訴求する方法以外に他に適切な救済方法も存在しない。
以上のような事情下で、裁判所が権力分立の原則を形式的に固執し、事前の差止めによる救済を拒否することは、司法権本来の責務を果すゆえんではなく、裁判所にひろく行政行為の適否の審判権を認めるとともに、いわゆる違憲審査の権能をも賦与したわが憲法は、以上のような諸条件の下で、基本的人権の擁護のため必要があるがぎり、事前の差止めによる救済を与うべきことを司法権に期待しているものというべきである。
なお、裁判所が行政庁に対し不作為を命ずることは、裁判所が行政監督権を行使することとなるので、三権分立の原則上許されないとの論があるが、行政行為の差止め請求が権力分立制の見地から問題があるとされるのは、主として、かような訴を無制限に認めるときは、行政行為をなすべきかどうかについての行政庁の第一次的判断権を一般的に奪うこととなり、そのことが権力分立制の基本的建前を崩壊させることとなるということによるものと解すべきところ、前記諸条件の下で行政行為の実行が許されるかどうかについて裁判所が第一次的に判断することがわが憲法下の権力分立の原則に反せず、これが許されるもの解すべきである以上、行政庁がこの判断に拘束されて未然に行政行為を実行し得ないこととなるのは当然の結果であり、この当然の結果を判決主文に表示する方式として確認(行政行為実施の権限がないこと若しくは不作為義務があることの確認)の形式をとるか不作為の給付の形式をとるかは、いわば、便宜の問題ないしは司法権の行政権に対する用語上の礼譲の問題に過ぎないというべきであるから、原告の訴求するところが不作為の給付の要求であるということだけで、かような訴がただちに三権分立の原則上許されないとする形式的論理は、当裁判所のとらないところである。
以上の理由により、当裁判所は、原告の本訴請求を行政事件訴訟法第三条第一項にいう「行政庁の公権力の行使に関する不服の訴訟」の一種として、適法な訴と解する。
二、本案の当否について
そこで、本案の当否について判断することとする。
一般に、各人が自己の頭髪の型に関して有する自由については、憲法上直接これを保障する明文の規定はないが、憲法の自由の保障に関する規定は制限列挙的なものと解すべきではなく、本来国民が享有する一般的な自由のうち、歴史的、社会的に特に重要なものについて、個別的に明文の規定を置くとともに、そこに記載されていないものについても、一般的にこれを保障する趣旨を含むと解すべきであり、そのことは憲法第一三条の規定からも窺い得るところである。従つて、個人のもつ蓄髪ないし調髪の自由に対して、国家は理由なくこれを制限することは許されないものといわなければならない。
そこで、受刑者の頭髪を翦剃すべきものとする前記法令ないし被告の取扱いが、合理的理由に基づくものであるかどうかが問題となるが、そもそも、受刑者を刑務所に収容する目的は、犯罪に対する制裁として、身体の自由を拘束し、同時に隔離された場所において犯罪者に矯正策を講じようとすることにあるものと解されるので、受刑者の頭髪に関する自由の制限が許されるかどうかの問題も、かような受刑者の特殊の立場、地位を度外視して論ずることは許されず、前記目的を達するために合理的必要がある限り、右自由に制限を受けることはやむを得ないところといわねばならない。この見地から受刑者の頭髪を翦剃することの必要性ないし合理的根拠を検討してみると、鑑定人橋本公亘、平野龍一、佐藤功、正木亮の各鑑定の結果によれば、次のような必要性を認めることができる。まず第一に考えられることは衛生の必要性があるということである。すなわち、多数人を一定の場所に隔離する場合、衛生面の注意が特に要求されることは明らかであり、この意味において、長髪はとかく不潔に陥りがちで、衛生の見地より好ましくないものといわなければならない。とりわけ、犯罪者は精神的、肉体的に放縦な生活を営んでいたものが少なくなく、しかも、社会生活ないし集団生活において当然遵守されるべき事項についての配慮(例えば、他人に迷惑をかけず、不快感を与えないための配慮等)を欠く者が多いところからかような集団の衛生管理については、一般社会におけるよりもいつそう厳しい態度ないし制約が必要といわなければならない。頭髪翦剃の第二の理由として考えられることは、外観上の斉一性を保つ必要があるということであり、このことは、次の二つの意味をもつ。まず、受刑者の外観を特定の形に統一することは、刑務所内の秩序の維持ないし逃走の防止に大きな利益を与えるものであるということであり、次にあらゆる階層の出身者からなる受刑者を刑務所内においては、その外観をも含めてすべて一律に扱うことが、刑の執行、受刑者の矯正の目的よりして、重要であるということである。そして、第三の理由としては、頭髪を翦剃することの方が、長髪を許し、これを調髪する場合よりも施設、器具等の上で財政上の負担がいつそう軽く受刑者の管理上もいつそう容易であるということである。(たとえば長髪を許せば櫛等を供さねばならないことともなるが、櫛等が兇器として利用されるおそれがあり、これを供しない方が管理上容易である。)これらの理由は、いずれも受刑者の頭髪を翦剃することの十分合理的な理由、根拠となり得るものであつて、かかる根拠に基づき受刑者の頭髪を翦剃したからといつて、受刑者の頭髪に関する自由を理由なく制限したこととなるものでないことは明白であろう。
この点について、原告は、頭髪を翦剃しなくとも、その長さを一定に限定することによつて、前記の要請を満し得るから、これを翦剃するまでの必要はないと主張する。確かに、原告の主張するように、ある程度の蓄髪を許しつつ、その長さを一定限度にすることによつて、衛生ないし外観の斉一性の要請が満せないわけではないが、これらの要請にそうには、頭髪を翦剃することの方が、より確実かつ便宜であることは否定できないところである。(例えば、頭髪をある程度伸ばすことを認め、衛生の必要上洗髪を強制する場合と頭髪を翦剃する場合とにおいて、いずれが衛生の見地から確実で便宜かといえば、多数人の集団を考える場合、後者の方が優ることは明らかである。)ただ、頭髪に関する自由が、これを制限することが直ちに個人の尊厳にかかわるというような性質のものであるとすれば、単に前記目的を達する上から翦剃を強制するもつとも直接確実な方法であるということだけで、直ちにかような方法をとることの合理性を理由づけることは早計であり、頭髪に関する自由の価値をかように評価する場合には、前記目的達成の見地からいえば、比較的迂遠な、原告主張のような第二次的方法をとることをもつて満足することが基本的人権を尊重するゆえんであるというべきであろうが、前記各鑑定人の鑑定の結果によつても、我国における現在の風俗、習慣よりすれば、蓄髪していないこと、すなわちいわゆる「坊主頭」が、その人の社会的評価を著しくそこなうというような状況にあるものとは考えられず、頭髪を翦剃させることが直ちに人間の尊厳を害するものとは認められないところである。従つて、受刑者という特殊の地位に基づき頭髪に関する自由を合理的に制限する方法として原告の主張するような方策をとらず、受刑者の頭髪を翦剃すべきものとする方法をとつたとしても、このことによつて、直ちに、立法府がこれに任された立法政策上の裁量権の行使を誤つたと断定することはつつしまるべきであり、また、行政当局が前記法規の執行上これに認められた裁量権の行使を誤つたということもできないものといわねばならない。もつとも、当裁判所は、原告が縷々述べているように、受刑者に蓄髪に対する強い願望があり、かつそのことが受刑者の精神的安定ないし更正のために有益であること、従つて、現在の翦剃が政策として最も望ましいものであるかどうかに疑問があることを認めるに吝かではないが、しかし、それは立法政策ないし行刑政策上の当否の問題であつて、裁判所の任務が政策上の当否を批判することにあるものでない以上、立法府及び行政当局の選択ないし裁量決定が、裁量権の範囲内のものと認められるかぎり、憲法違反ないし違法の問題はおこり得ないことはすでに述べたとおりである。
よつて、受刑者の頭髪を翦剃すべきものとする前記法令ないし被告の取扱いには、合理的な必要性があり、原告の主張するように憲法第一三条に違反するものとは考えられず、また頭髪に関する前述のようなわが国の風俗習慣にかんがみれば、頭髪が「丸坊頭」であるからといつて、それだけで、生活上格別の不利をもたらし若しくは精神的肉体的に格別の苦痛を生ずるものとは考えられないので、その翦剃の強制が憲法第二五条、第一八条に違反するという問題はおこり得ないことは明らかである。また頭髪の翦剃をもつて身体刑の執行と解する余地はなく、自由刑の執行自体が当然に監嶽法等の法規ないしこれに基づく刑務所長等の命令によつて規律される刑務所内に拘置すべきものとする趣旨であること明らかであるから、頭髪の翦剃の強制が憲法第三一条、刑法第九条、第一二条に反すとの原告の主張もまた採用のかぎりでない。
そして、頭髪を翦剃させることが憲法その他の法規に反するものでない以上、刑務所長は、受刑者がこれを拒否する場合においては、懲罰その他の間接的方法により、あるいは、必要がある場合には、直接的強制力を用いても、受刑者の頭髪を翦剃することも許されると解するのが、監嶽法第三六条の本文と但書を対比し、事柄の性質を考慮して、相当というべきである。
なお、原告は、少くとも出所時においては頭髪は現状に復していることが要求されるから、出所予定日前六カ月からは翦剃は許されないと主張するが、受刑者は刑務所在監中は刑務所の規律に服すべきもので、出所前に蓄髪を認めるかどうかは、刑務所長の裁量に委ねられたところであり、府中刑務所の場合刑の満期日前二カ月において蓄髪を許容するに止まるのであるが、その当否が問題となるは格別、これをもつて違法ということはできない。
三、結論
以上の次第で、原告の本訴請求は、理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担については、民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。
東京地方裁判所民事第三部
裁判長裁判官 白 石 健 三
裁判官 浜 秀 和
裁判官 町 田 顕
別紙一
第一章 身体刑としての違法性。
憲法第三一条・刑法第九条・刑法第一二条に夫々違背。
懲役刑という自由刑の受刑者たる原告の頭髪を、その意に反して、強制翦剃することは、懲役刑受刑者にあつて、身体の自由以外の法益の剥奪を受けることが絶対に無い旨を保障したところの憲法第三一条、刑法第九条及び同第一二条に違背する。何とならば、頭髪は、身体の一部分であり、身体それ自体であるからである。
必要もないのに、一ケ月毎に強制頭髪翦剃を行つてゆくという制度(監嶽法第三六条・同施行規則第一〇三条)は、正に身体刑を執行していることに外ならず、刑法第九条は身体刑を認めていないのであるから、監嶽法第三六条、同施行規則第一〇三及び被告の処分は、罪刑法定主義という(憲法第三一条)刑事法上の大原則に違背し、違法である。
又、同様に被告の処分は、懲役刑という自由刑の執行方法を法定したところの、刑法第一二条第二項(「監嶽に拘置する」とは、身体の自由のみを剥奪するという意に解さなくてはならない)に違背し、違法である。
自由刑の執行によつて剥奪しうる法益は、身体の自由という不可視的無形(物)に限られるものであつて、頭髪の如き可視的有体物を含むものではない。したがつて、被告の処分は、自由刑執行(即ち、行刑)上、その対象(物)を誤つた違法な執行である。
第二章 不必要な(即ち、理由のない)加害としての違法性。
強制頭髪翦剃は、衛生上の必要から行うものであるということになつているが(監嶽法第三六条及び同施行規則第一〇三条は、いずれも、「衛生及び医療」に関する規定として、第八章に置かれている)、若し、真実にそれ以外の必要又は目的がないものであれば、何も、毎月一回、翦剃を強制する必要はない、要は、翦剃を強制すべきではなく、洗髪を強制すれば足りるものであつて、強制頭髪翦剃は、いわゆる、ゆきすぎである。したがつて、強制頭髪翦剃は、行刑上の必要の範囲及び限度を踰越してなされた権利(又は、法益)侵害行為であり、「行刑上、不必要な(理由のない)加害行為は、許されない」とする、民主主義行刑上の原則(今日の、我が国の行刑原則については、第三章に記載の通り)に違背し、違法である。
刑務所といえども、各室には水道設備があり、入浴は、一週間に二回、乃至、五日に一回位の基準で行われているのであるから(最近、入浴については、監嶽法施行規則第一〇五条の基準を改善し、回数を増している)、普通の社会人と同じように蓄髪していても、別に不衛生にはならない。
したがつて、何も、蓄髪権(第三章参照)、及び、法益としての身体(頭髪は身体である)を侵害してまで、強制翦剃しなければならない程の、必要は毛頭なく、此を敢て行うことは、小なる公共の福祉上の必要に名をかりて、大なる個人の人権を侵害することに外ならず、著しく権衡を失する処分として、当該処分は、違法たることを免れない。
第三章 個人尊重の原理に違背。
憲法第一三条に違背。
頭髪をのばし、それを各個人夫々に適当な形に整えることを、通常、蓄髪乃至調髪と称しているが、この蓄髪乃至調髪の目的は、要するに、容姿を整え、体面を保つにあると言はなければならないし、又、蓄髪乃至調髪の実益も、同じく、容姿を整え得、体面を保ち得ることにあるとしなければならない。そして、蓄髪乃至調髪に、容姿を整え、体面を保ち得るという利益があるからこそ、一般社会人は、一般的に挙つて、蓄髪乃至調髪につとめている訳であつて、今日では成年男子は、蓄髪し調髪することが当然であるとされ、正に、蓄髪乃至調髪は、社会の一般的通念とされるに至つている。
そして、一般社会人については、右の如くであるが、翻つて、在監受刑者の場合について考えても、道理は、全く、同じであるとしなければならない。何んとなれば、今日の我が国の行刑は、その運営の基本原理を、基本的人権尊重主義に置いているからである。即ち、更に言えば、一般の社会人に対するのも、在監受刑者を処遇するのも、いづれも、その処遇上、「個人として尊重する」という根本原理に立つて、平等に取扱わなければならない、換言すれば、一般社会人に対して、その自尊心を尊重し、体面を保全するのと全く同様に、在監受刑者に対しても、その自尊心を尊重し、その体面を保全すべきものであるという原理に、今日の我が国の行刑が、その運営上の基礎を置いているからである。
そして、此の行刑上の基本原理は、(即ち、行刑上基本的人権尊重主義は)日本国憲法の関係各条規(例えば、第一一条・第九七条・第一三条・第一八条・第二五条・第三一条・其の他)から、論理必然的に導かれるところの、当然の帰結であり、かつ、行刑当局も戦後いち早く発した、「監嶽法運用ノ基本方針ニ関スル件(昭和二一年一月四日・刑政甲第一号)」という通牒のなかに、刑務所運営の三原則を掲げ、その第一に、「人権尊重ニ関スル原理」として、各刑務所長に訓示しているところのものであつて、この「行刑上基本的人権尊重主義」こそは、今日、刑罰の本質に関し如何なる学説にしたがうかにかかわらず、いやしくも、行刑に従事する者にとつては、何人といえども、尊重・擁護しなければならないところの、基本的指導原理である。
したがつて、受刑者といえども、「個人として尊重される」(憲法第一三条)者であり、かつ、蓄髪乃至調整することによつて、容姿を整え体面を保ちたいと念願する点において、一般社会人に何等変りのない者である以上、一般社会人と同様に、受刑者もまた、蓄髪乃至調髪する権利を所有するものであるとしなければならない。そして、ここに言う「蓄髪乃至調髪の権利」は、憲法一三条にいうところの「生命・自由及び幸福追及に対する国民の権利」に含まれるものであることは、間違いのないところであるが故に、国は、在監受刑者の有する「蓄髪乃至調髪権」に対しては、行刑上(行刑は、国の行政作用である)、公共の福祉に反しない(即ち、行刑目的に反しない)限り、「最大の尊重を必要とする」(憲法第一三条)ものであり、在監受刑者が、世間並みに蓄髪乃至調髪していても、何等、行刑目的に反するものではないから、結局、被告の処分は、憲法第一三条に違背するところの、違法処分であるとしなければならない。
註、一九五五年八月三〇日の犯罪予防及び犯罪者処遇に関する、第一回国際連合会議の決議による、「被拘禁者処遇最低基準規則」の第一六条のうちに、「被拘禁者が(ここにいう被拘禁者とは、在監受刑者をも含めた、すべての被拘禁者であることは、同規則の別の箇所に、明言がある=原告註)、かれらの自尊心に合う容姿を整えることができるようにするために、頭髪およびヒゲを、適当に手入するための設備……が、設けられなければならない」とある。
第四章 人格権の侵害(名誉の侵害)としての違法性。
被告の強制頭髪翦剃処分は、原告の人格権に対する違法な侵害である。在監受刑者といえども、人として尊重されなければならないことについては、第三章に記載の通りであるが、蓄髪乃至調髪は、その目的と価値とが、主として、その人の自尊心の発現としての容姿を整えることと、体面を保つこととにある以上、強制頭髪翦剃処分によつて剥奪される法益のうちには、当然、被翦剃者の自尊心と体面、即ち、名誉が含まれているものであるとしなければならない。つまり、行刑上の強制頭髪翦剃処分が、被翦剃者の名誉を侵害する処分であることは、全く、疑いの余地のないところであり、当該処分を強行しなければならないところの相当な理由がない限り(第八章参照。実際に理由も必要もないことは、事実である)、被告の処分は違法である。
第五章 憲法第二五条に違背。
第四章で述べた如く、今日、成年男子の蓄髪乃至調髪は社会生活上の常識であつて、蓄髪乃至調髪は、憲法第二五条にいわゆる、「健康で文化的な最低限度の生活を営む」上における、一つの条件であるとしなければならない。此の「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」は、勿論、在監受刑者にも保障されているものであつて(憲法第一一条・同第九七条・同第一三条・同第一八条・同三一条)、したがつて、被告の処分は、原告が有する「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」(人たるに値する生活を営む権利)を、故なく、侵害するものであり、憲法第二五条に違背し、違法である。
第六章 社会復帰の障礙としての違法性。
強制頭髪翦剃制度があるために、受刑者は、釈放後も、頭髪が原状回復するまでの間、社会生活上、精神的にヒケ目を感じさせられることになり、此れが、出所者の更生・再起に、一つの障礙となつているという事実は、重要視されなければならない。
在監受刑者を、すぐ社会に適応し得る状態にして、釈放し、社会え復帰せしめることは、今日の行刑の目的の一つであり、かつ、その使命である。此は、いわゆる「社会復帰の原理」と称せられ、行刑運営の基本原理の一つとされているものであるが、強制頭髪翦剃制度は、此の原理に反するものであつて、全く、有害無益な制度である。
第七章 行刑上、蓄髪せむむべき、積極的必要性あり。
在監受刑者の頭髪は、強制翦剃するどころか、むしろ、のばさせておくべき、積極的な理由がある。即ち、刑務所は、兇暴な人格所有者を数多く収容しているところの、一箇の小社会であつて、通常の社会では考えられない位に、物騒な面のある、特殊な社会である。したがつて、いつなんどき、大した理由もないのに、不特定な誰かから、突法、頭をなぐられないでもないのであつて、此の点、通常の社会とは、趣を異にしている。故に、むしろ、在監者の頭髪は、此をのばさせておいて、頭を物理的暴力から保護するための一手段とすべきものである。したがつて、強制頭髪翦剃制度は、かかる要請に反した、有害無益な制度であると言わなければならない。
第八章 強制頭髪翦剃が許される場合。
強制頭髪翦剃が許されるのは、特別に頭髪が長くなつてしまい、社会の一般人に比較して、極めて異常な状態になつたような場合に限るべきであつて、それ以外は、妄りに、翦剃を強制出来ないとするのが、新憲法下の行刑上、当然のあり方であるとしなければならない。
強制頭髪翦剃に対しては、行刑当局は、今日まで、自由刑執行に随伴するところの当然の効果(不利益)として、簡単に、安易な考え方をして来たものの如くであるが、強制頭髪翦剃をもつて、行刑上当然許される処置であるとするような考え方は、既に、時代錯誤であつて、旧憲法時代ならば、いざしらず、民主主義、個人尊重主義、法治主義を根本原理としている新憲法下の行刑においては、到抵、許されるべくもない思想である。
第九章 奴隷的拘束としての違法性。
憲法第一八条に違背。
(1) 憲法第一八条は、「何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない」ことを明言している。「何人も」であるから、勿論、原告の如き在監受刑者も含まれる。又「いかなる」であるから、奴隷的拘束が如何なる種類のものであるかを問わない訳である(即ち、奴隷的拘束が、身体に対する拘束たると、精神に対する拘束たることを問わない訳である)。
(2) そこで、「いかなる奴隷的拘束も受けない」という憲法の宣言と、自由刑の執行とは、一見矛盾するかの感を与えるが、決してそうではない。
(3) 即ち、憲法第一八条の規定は、行刑(自由刑の執行という国の行政作用)を拘束しているのであつて、両者(憲法一八条と行刑)の間に矛盾・撞着はあり得ない訳である。
(4) 即ち、自由刑の執行によつて受刑者の身体や精神を拘束する場合であつても、それがいわゆる「奴隷的拘束」に該当する拘束であつてはならないということなのである。
(5) 換言すれば、行刑上受刑者を拘束する場合といえども、国は、受刑者を「個人として尊重(憲法第一三条)し、かつ受刑者に対して「健康で文化的な最低限度の生活」(憲法第二五条)を保障し、又、受刑者の「思想の自由」(憲法第一九条)・「良心の自由」(憲法第一九条)・「信教の自由」(憲法第二〇条)・「表現の自由」(憲法第二一条)・「学問の自由」(憲法第二三条)等を尊重し保障しなければならないものである(「思想の自由」以下の諸自由を思想の自由に含めて、一口に、思想の自由とも言える)。かくして、国は、受刑者に対し、一方において、刑罰の効果としての拘束(即ち、隔離・拘禁・改善)を科するとともに、他方において、その拘束の具体的内容が奴隷的拘束に該当することのないように最大の努力をしなけけばならないことになる。
これは、一言にしていえば、「刑罰権と基本的人権とのカネ合いの問題」であつて、「行刑としての拘束」を「奴隷的拘束」に堕落させるか否かは、実に、此の拘束の間の截然たる区別を、能く認識し得るか否かにかかつていると言い得るのである。
(6) 以上が一般論である。以下に強制頭髪翦剃がどうして奴隷的拘束に当るかについて述べる。
(イ) 先づ在監受刑者といえども「個人として尊重される」(憲法第一三条)ものであるということについては、異論の余地はない(此については、既に、第三章において述べてある)。何となれば、「個人尊重の原理」こそは、すべての国家活動の基本的指導原理であることは勿論、むしろ人類社会におけるすべての生活上の基本的指導原理たるべきもの(人類普遍の原理)であるからである。
(ロ) そして、「個人として尊重される」ということの具体的内容の重要部分の一つが、「自尊心乃至名誉の尊重」であるということについても、疑いはない。
(ハ) そして、「蓄髪乃至調髪」の目的(乃至意味)が、「容姿を整え(理容師法第一条参照)体面を保つにある」(即ち、自尊心乃至名誉を保持するにある)ことについては、既述の通りであり、例の「被拘禁者処遇最低基準規則」の第一六条も、此の点を明言している。
(ニ) したがつて、強制頭髪翦剃は、被翦剃者の「自尊心乃至名誉」を侵害・殷損するものであることについても、此又、既述の通りである。以上が、既述の概略である。
(7) 次いで、
(ホ) 原告のような在監受刑者といえども、自尊心もあり名誉心もあるし、又、同じく、自尊心乃至名誉を保持したいという意欲(意志)を所有する者である。此は在監受刑者といえども人たる以上、人たるに相応した自尊心乃至名誉心を有すること当然であるが故である。
(ヘ) しかるに、強制頭髪翦剃に当り、国は、(国と被告は同格である)、原告の所有するところの「蓄髪乃至調髪」によつて自己の自尊心や名誉を保持したいという意志に対しては(此の原告の意志に対しては、国は、当然、「最大の尊重を必要とする」(憲法第一三条)ものであること既述の通り)、頭髪翦剃を強制制度化することによつて(監嶽法第三六条及び同施行規則第一〇三条)、それ(原告の意志)を拘束し、その意志に反して強制翦剃を実行しているのである。即ち、此の場合、原告には全く意志の自由が与えられていないのである。いいかえれば、原告は、自由意志を放棄させられているのであつて、国(被告)は、かくの如く原告の自由意志を拘束しその放棄を強制することによつて、原告をしてあたかも意志を有せざる「植木」の如き存在たらしめて、植木の枝葉を翦剃する場合と何等択ぶところなき条件において、人間たる原告の頭髪を翦剃し続けているのである。なお、此の場合における強制乃至拘束の方法が、直接であるか間接であるかは、さして問題とするに当らないものである。
(ト) そして、この無視され、圧迫され、拘束され、放棄させられているところの原告の意志は、蓄髪乃至調髪によつて自己の自尊心や名誉を保ちたいという意志、即ち「自己の自尊心乃至名誉保持のための意志」であるが、かかる「名誉保持のための意志」は、国家の刑罰権によつても、よほど重大な理由でもない限り、妄りに、拘束されたり放棄せしめられたりするものではないのである。かようなことは、既に、今日の行刑上の通念である。換言すれば、受刑者たる原告といえども、自己の自尊心や名誉を確保する自由を有する者であつて、行刑上、此の原告の自由は、それを尊重することによつて行刑上明白にして重大な支障が発生する場合を除き、国(被告)によつて最大の尊重を受けるものである。
(8) そして、被告は、此の自尊心や名誉を保持したいという原告の意志(本件の場合は、蓄髪乃至調髪したいという意志)を、外力(本件の場合は、国家権力)によつて拘束し、なおかつ、それ(自尊心や名誉を保持せんとする意志)の放棄を強制することによつて、当該意志の自由を剥奪し、以て原告に対する精神的拘束状態を実現した訳であるが、此のような拘束状態こそ、正しく、奴隷的拘束そのものに該当するのである。そして、かかる奴隷的拘束は、それが如何なるものであらうと、そのすべてを、憲法は禁止しているのである(憲法第一八条)。したがつて、原告は、正当な理由に因らない限り(ここが問題であるが)、自己の自尊心や名誉を放棄して、国家権力(刑罰権)の前にその身を屈する義務は、全くない訳である。
別紙二
一、被告は、監嶽法第三六条・同法施行規則第一〇三条により原則として二〇日毎乃至一月毎に一回原告を始め全ての受刑者の頭髪を希望すると否とにかかわらずいわゆる丸坊主に刈つている。原告の頭髪を前記のように刈つたのもこの一環として行つたわけである。しかし被告は内規に従い、刑の満期日前二月の受刑者、行刑累進処遇令第一級の受刑者及び仮出嶽の具体的前提となる地方更生保護委員会委員の面接(犯罪者予防更生法第三〇条参照)を受けた受刑者については、頭髪を伸すことを許して受刑者の社会復帰に備えている。
二、原告は、このような受刑者の頭髪を意志に反して強制的に刈ることが憲法第一三条に違反すると主張するが、それは頭髪の自由或いは頭髪についての幸福追求の権利が侵害されることを理由とするものと解される。ところで、被告が受刑者の頭髪を強制的に刈る理由を述べれば、
(一) 監嶽は多数の受刑者を収容して集団的な生活が営まれている処であるが、受刑者には概して精神的・肉体的に放縦な生活に親しんだ者が多いため、もし受刑者に頭髪を自由に伸すことを認めた場合とかく不衛生に亘り、監嶽の衛生管理上支障があること。
(二) 監嶽は多数の受刑者を収容して集団的な処遇を行なう建前になつているので、その紀律の維持が重要であるところ、そのためには受刑者に対する斉一処遇が要請され、受刑者の頭髪についても一定の髪型をとることが必要であること。
(三) 受刑者の頭髪を刈らなかつた場合、頭髪が刃物・鋸ぎり・逃亡用具その他反則物件の隠匿場所として利用される虞れがあり監嶽の保安維持のうえで支障があること。
(四) もし受刑者に自由に頭髪を伸すことを許すと、それに伴つて当然整髪のため多数の技能者及び理容用具を必要とし、被告が現在の限られた人的・物的設備でそれを実施すれば監嶽の管理運営上著しい支障を来たすこと。
等があげられる。このように、監嶽における衛生・紀律・保安の維持及び管理運営上の必要性という行刑目的の達成のため、受刑者の頭髪を強制的に刈つているのである。行刑目的が達成されるということが公共の福祉に合致することはいうまでもないから、行刑目的の達成のため合理的な範囲内で受刑者の基本的人権が制限されることは当然である。このことは憲法第一三条の規定のうえからも明らかである。
そいで、原告の主張する頭髪の自由、或いは頭髪についての幸福追求の権利に対する制限が、行刑目的の達成のため合理的な範囲内の制限であるか否かについて考えてみる。我が国における現在の風俗・習慣に照して男子の頭髪をいわゆる丸坊主に刈ることが、それほど精神的・物質的不利益を与えるとは考えられず、又受刑者は一般社会から隔離された監嶽内において生活していて、しかも受刑者はすべて一様に頭髪を刈られているのであるから精神的不利益はよほど小さなものといえるし、更に監嶽より社会へ復帰するに当つては前項に述べたように或る程度の期間前より頭髪を伸すことを許しているのであるから、原告が主張する自由・権利の制限は実質的にはそれほど大きいものではない。
他方、頭髪を強制的に刈ることによつて確保される監嶽における衛生・紀律・保安の維持という効果は大きく、いま頭髪を強制的に刈ることに代えてそれだけの効果を上げうる方法は、人的・物的設備に要する費用をも考慮に入れるとき到底考えられない。以上の次第で、受刑者の頭髪を強制的に刈ることによつて受刑者の受ける自由・権利の制限とそれによる監嶽における行刑目的の達成とを比較衡量するとき、前者は後者のための合理的な範囲内での制限といいうる。
従つて、被告が原告の頭髪を強制的に刈つても何ら憲法第一三条に違反しない。
三、次に、原告は頭髪を強制的に刈ることが刑法第九条・第一二条・憲法第三一条に違反すると主張するが、これは頭髪を刈るという刑法に規定のない刑罰を課していることを理由とするもののようである。しかし、受刑者の頭髪を強制的に刈るということは前記のように監嶽における行刑目的の達成のために行つているのであつて、刑罰の執行として行なつているものではない。従つて刑法第九条・第一二条・憲法第三一条に違反しない。
四、また、原告は頭髪を強制的に刈ることが憲法第二五条に違反すると主張するが、これは頭髪を伸し自由な髪型に調整することが健康で文化的な最低限度の生活を営む上での一つの条件であることを理由とするもののようである。しかし、頭髪を丸坊主に刈つた場合より自由な頭髪を許した場合の方がより健康な生活が営めるとは到底云うことができず、むしろ受刑者の中には放縦な生活に親しんだ者が多いため自由な頭髪を許した場合にはかえつて不衛生となり健康でない生活を営む場合が予想される。更に、丸坊主より自由な頭髪を許した場合の方がより文化的だとはにわかに決しがたいところである。仮りに譲つて、丸坊主に比べて自由な頭髪を許した場合の方がより健康で文化的な生活だとしても、丸坊主の生活が健康で文化的な最低限度の生活以下であるとか、人間たるに値しない生活であると云いえないことは多言を要しないところである。従つて頭髪を強制的に刈つても憲法第二五条には違反しない。
五、監嶽法・同施行規則の受刑者の頭髪を刈ることに関する規定は、受刑者が頭髪を刈られることを拒む場合受刑者を押えつける等物理的な強制力を加えてまでも頭髪を刈ることを許している趣旨であるか否か。
受刑者の頭髪をその意志に反しても刈る目的が前記のとおり行刑目的の達成という公共の福祉のためにあるのであるから、法令の解釈としては行刑目的達成上必要な場合には、その目的のため合理的な範囲内で受刑者に物理的強制力を加えて頭髪を刈ることも許している趣旨であると考える。しかし、今までそのような実例はない。実際問題として受刑者が頭髪を刈られることを拒んだ例は殆んどない。もし拒んだ場合でも、いきなり物理的強制力を加えて頭髪を刈ることは、受刑者の人間としての自由・尊厳を最大限に尊重しようとする意法の精神からは決して好ましいことではないので、説得或は懲罰第の間接的(心理的)強制力により頭髪を刈ることが可能な場合にはその方法によるべきであると考える。
別紙三
被告の主張に対する原告の反論
一、「受刑者の社会復帰に備えている」について。
「社会復帰に備えている」という被告の主張は、具体的には左のことをいつているのである。
(イ) 満期前二ケ月蓄髪を許していること(但し、許可の際に坊主刈にする)。
(ロ) 仮釈放のための委員面接があつた者には、蓄髪を許していること。
(ハ) 一級者には、蓄髪を許していること。
しかしながら、
(イ)については、僅か二ケ月間位で、頭髪が世間並みに原状回復するものではなく、それがためには、少なくとも六ケ月前後を要するものであつて、二ケ月では全く不充分である(即ち、羊頭狗肉である)。又、
(ロ)については、仮釈放のための地方更生保護委員会の委員面接があれば、そのあと大体一ケ月内外で釈放されるのが普通なのであるから、此の場合は、条件に恵まれたとしても、やはり、二ケ月間以上に頭髪がのびるということはめつたにないことになり、此又、不充分である。又、
(ハ)については、行刑累進処遇令による第一級の数は、極く僅かであつて、おそらく、一〇〇人中二人か三人位の割合でしか居ないと思はれる。したがつて、かようなほんの一部の者のことを取上げて云々しても問題にならない。
以上のような訳で、被告は「社会復帰に備えている」と体裁のよいことを言つているが、現実は、決して、被告が言つているようなものではない。刑務所の門に立つて、出所して来る者の頭を見れば、一番よくわかる。現在一級者に対して認めている程度の蓄髪(五センチ以下という制限つき蓄髪)を、全収容者に許可すれば、その時こそは、被告の主張の通り、「社会復帰に備えている」と、立派に言えることになるのである。
二、「自由に伸すことを認めた場合」及び、「自由な頭髪」について。
被告の主張によると、原告は、あたかも、在監者の蓄髪に対しては、全然制限を加えず、全くの野放しにすべきであると主張している者であるかの如くであるが、此は、被告の誤認である。原告は、別級第一の第八章において述べている如く、「強制頭髪翦剃が許される場合」を認めている者であつて、「自由に伸すことを認めた場合」とか「自由な頭髪」とかいうのは、被告が勝手にそそのような場合を仮定して言つているに過ぎず、全く問題にする必要のない主張である。 問題は、「一ケ月毎に丸坊主に翦剃を強行してゆく制度」そのものにあるのであつて、かかる制度の必要性と是非とに対して、検討が加えられなければならないのである。
原告をして言はしめれば、行刑施設管理上、蓄髪の野放しは不可である。しかしながら、人権の尊重と社会復帰の原理と両観点から、現行制度を改善して、例えば、「在監者全員に蓄髪を許す。但し、髪の長さは、七センチ以内に限る」又「ポマードやその他の油類の使用等は認めない」、といつた具合にすればよいのである。一ケ月に一回づつ丸坊主にするというのは、全く、人権と行政上の必要との間における権衡を失した行き過ぎに外ならないのである。
三、「蓄髪は、監嶽の衛生管理上支障がある」について。
被告は、蓄髪を許すと、さも、不衛生になつて、監嶽の衛生管理上重大な支障がありそうに言つているが、蓄髪を許して髪の長さを七センチ位にしたとして、実際問題上、果してどれだけの衛生管理上の支障が生じてくるであろうか。原告が既に主張した通り、室内には水道設備があり、かつ入浴が五日に一回乃至毎遇二回行はれている現状においては、長さに一定の制限をつけて蓄髪を許しても、別段大して不衛生にはならない。要はよく頭を洗うよう監督すれば足りる。したがつて、衛生管理上の必要をもつて、丸坊主に刈ることを正当づける理由とは為し得ない。被告の主張は誇大であつて失当である。
四、「一定の髪型をとることが必要である」について。
被告が、髪型を劃一化したいと考えることは、無理からぬところである。しかしながら、問題は、丸坊主という髪型を強制するところにあるのであつて、かような極端に非社会的な(したがつて、非人間的でもある)髪型にせず。一定の長さ(即ち、七センチ位が妥当)の下に、一定の髪型を考えて然るべきである。
蓄髪を認めるのは施設管理上不都合だからとして、直ちに丸坊主という乱暴で非文化的な制度を強引に運用することのみを考えるのがそもそも誤りなのであつて、「一定の髪型=丸坊主」とすることに対する是非の判断は、本件訴訟における重要な一問題点であらねばならない。
五、「頭髪を刈らなかつた場合、頭髪が刃物、鋸ぎり、逃亡用具その他反則物件の隠匿場所として利用される虞れがあり、監嶽の保安維持のうえで支障があるに」ついて。
この被告の主張に至つては、全く、誇大妄想的コジツケという外に表現のしようがないものである。「頭髪を刈らなかつた場合」を想定している訳であるが、在監者の頭髪が二〇センチにも三〇センチにも長く伸びる迄、黙つてほおつておく刑務所が一体どこにあるであろうか。本件訴訟で問題になつているのは、あくまで、「坊主刈りを一ケ月に一回づつ強行する」というやり方に対する是非と、「在監受刑者にも、世間並みな長さに蓄髪させ、世間並みの髪型に調髪させるべきである」ということとの二つであつて、刃物や鋸等を隠匿出来る位に頭髪を伸す場合を想定する必要は、全くない。被告がいうような問題は、女子の刑務所で考えればよいことであつて、本件訴訟に関連した所論としては、甚だ失当である。
世間並みの蓄髪状態であれば、頭髪の中に刃物や鋸等を隠匿し得ないこと勿論である。又、その虞れがあれば、毎日身体検査をやつているのであるから、頭の方もやればそれで足りる。
六、蓄髪を許すと「整髪のため多教の技能者及び理容用具を必要とし」について。
蓄髪を許した場合、刑務所にとつて問題となるのは、此の問題(即ち、理髪夫を増員し、理髪用具を増加すること)だけである。此れのみが、誰一の問題になる(外には問題になると言える程のものは、全くない)。此の点については、原告は、被告の主張を或る程度認める。
しかしながら、「理髪技能者の増員及び理容設備の増設」という点については、左の通りの事由により、被告が主張する程困難性のある問題ではなく、比較的容易に解決出来るものであつて、要は、行刑当局が、その気になつて努力すれば何んでもない問題なのである(その気になるかならないかという問題に過ぎない)。
(イ) 刑務所は多教の受刑者を収容しているから、技能者養成のための人員が不足するということは、全くないこと
(ロ) 理髪技能者の養成は、此の近くでは、例えば、中野刑務所で現に行つているのであるから、そこでどんどん養成すれば足りること。
(ハ) 理髪技能者といつても、一般社会の技能者とは異なり、受刑者の頭を無料で調髪するのであるから、さほど高度の技能を要するものではなく、したがつて、被告は敢て問題を難しそうに表現しているに過ぎないこと。
(ニ) 刑務所は、優秀な理髪技能者であつても、一ケ月せいぜい三〇〇円か五〇〇円程度のタダのような賃金(作業賞与金といつている。監嶽法第二七条)しか支給しないのであるから、理髪夫を増員したからといつて費用の点でさほど大きな負担とはならないこと。
(ホ) 理髪用具の設備の点に関しては、別にポマードや油等をつけてサービスする訳ではないのであるから、ハサミ一丁にクシ一本あれば、さしあたりまにあうものである(その他は、おいおい設備すれば足りる)。一般社会の床屋とは全く異るものであつて、被告が針小棒大的表現をする程のものでは決してない。
以上のような訳で、蓄髪を許すことによつて、行刑当局は或る程度の負担をしなければならないということについては、原告といえども、それを充分に認める者である。しかしながら、だからといつて、その負担を免れんが為に、丸坊主にしてしまえというのは、民主主義文化国家における行政理念に反するものであつて、許されないこと自明である。
基本的人権尊重をもつて国家活動の基本的指導原理としている我が国にあつては、行刑の分野においても、単に、理容技能者の養成が厄介だからとか、調髪設備に若干の費用を要するからとかいう位の事情をもつて、在監受刑者の人権を無視した強制丸坊主制度を、改善もせずに、現状維持してゆかうとすることは、許されない。したがつて被告の主張は全く、日本国憲法の精神を理解しないものであつて、思考過程において既に根本的な誤りを犯しているものであるといわなければならない。
七、「我が国における現在の風俗、習慣に照らして、男子の頭髪をいわゆる丸坊主に刈ることが、それ程精神的、物質的不利益を与えるとは考えられず」について。
此の被告の所論はは、真実を無視した独断論に過ぎない。終戦以前の軍国主義はなやかりし頃ならば、軍人(特に陸軍)は坊主刈りであつた。しかし、現在ではいやしくも成年男子たる者、蓄髪しているのが普通でありかつ正常なのであつて、丸坊主にしている者は、その数が極めて少く、それ等の者は特異な存在であると言はなければならない。此が我が国の社会における現在の事実である。旧時代の軍隊に相当する自衛隊でさえ、隊員のほとんどは蓄髪乃至調髪をしている。したがつて、被告の主張は、全く、現実を無視したもので、むしろ、実際の反対を言つているものである。
又、我が国の歴史的過去をみても、一般国民が坊主刈りをもつて、風俗、習慣にしていたという史実はないのであつて、反対に、我が国民は蓄髪、調髪(結髪もあれば、散髪もある)をもつて風俗、習慣にしていたのが事実である。ただ、戦時中、国民の間に坊主刈が流行したのは、前述の如く旧軍隊が坊主刈であつたために、軍国主義という当時の支配的思潮が、国民の頭髪にまで影響を与えた結果に外ならず、此は、むしろ、一時的、過渡的な現象に過ぎなかつたものであり、此をもつて我が国本来の乃至は現在の風俗、習慣であるとは到底なし得ないのである。
旧軍隊が一般社会に齎した坊主刈りなるものは、軍隊社会という特殊な非人間的(即ち、非人道的)社会に存在していた誤つたイデオロギーを、当時の誤つてはいたが指導的時代思潮であつたところの軍国主義が、強引に一般社会にまで押し広めた結果、それによつて作り上げられた産物に外ならないものであつて、勿論、正統なものではないのである。かような沿革を有する坊主刈という習俗には、人間性否定乃至人権無視といつたイデオロギーが内在しているものであつて、被告の主張とは逆に、むしろ、我が国の習俗に反する誤つたものであると言うべきが正当なのである。
今日、坊主刈をしている者は、僧侶、未成年者それに在監受刑者位の者しかなく、かかる現状であるのにかかわらず、丸坊主をもつて我が国現在の風俗、習慣であると主張する被告の所論は、問題にならないものである。
八、「受刑者は一般社会から隔離された監嶽内において生活していて、しかも受刑者はすべて一様に頭髪を刈られているのであるから、精神的不利益はよほど小さなものといえる」について。
此の被告の主張は、受刑者の自尊心や名誉を不当に過小評価したものであり、今日の人権思想とは全く相容れざる思想に基く所論であつて、失当である。
先づ、在監受刑者は一応社会から隔離されている者ではあるが、完全に、社会と交渉が絶えてしまつているというものではない。監嶽法第四五条は、在監者と刑務所外の者(主として親族)との接見(面会)を許しているのであつて、原告の場合には、少くとも毎月一回は妻が面会に来ている。そうすれば、坊主刈りにされた原告が妻に面会する場合、及び妻が坊主刈りの原告に面会する場合において、原告の自尊心や名誉心が蒙る影響を被告の如く一概に無視し得るものではない(勿論、妻の感情に与える影響も無視すべきではない)。又啻に面会時のみならず、在監者が他の施設え護送される場合(移監)をも考慮しなければならない(監外護送の場合には、アミ笠で被護送者の面体を蔽うことになつている(本省から通牒が出ている)のであるが、実際は、全くといつていい程に、アミ笠の使用をしていないのが実情である)。此の護送の場合も、被護送者は坊主刈りにされているのであるから、やはり被護送者の自尊心や名誉という事が問題になる訳である。その他、在監受刑中に、余罪の取調や共犯関係等による証人乃至被告人等として、裁判所や検察庁え出頭する例はいくらでもあるのであつて、此等の諸事実がある以上、在監受刑者はあたかも刑務所外部の者と接する機会が全くないかの如く表現するところの被告の主張は失当である。
又、被告は、在監受刑者は全員坊主刈りにされているのだから大して精神的不利益はないのであろうと主張しているが、此のような主張は、全く乱暴で無責任な主張である。如何なる受刑者といえども、坊主刈にされて喜んでいる者は絶対に居ないのであつて、声に出して不服を申し立る者はいないけれど全員内心に深長なうらみを抱いているという事実は否定出来ないのである。
しかも、刑務所内にいる人間は刑務職員と受刑者との二種類であつて、したがつて、坊主刈りの受刑者が、蓄髪乃至調髪している刑務職員に対して、如何なる感情をもつかということを被告は見落している。被告は、受刑者といえども刑務職員と等しく人間であつて、人並みな自尊心や名誉心を持合せているという事実を無視している(或いは、理解していない)ものである。受刑者をも人として処遇し、その自尊心や名誉は出来る限り尊重すべしとするのが、今日の行刑上の指導原理であり、かつ常識でもある。
九、「監嶽より社会に復帰するに当つては、前項に述べたように或る程度の期間前より頭髪を伸すことを許しているのであるから、原告が主張する自由・権利の制限は、実質的にはそれほど大きなものではない」について。
原告が主張しているのは、原告の意に反して強制翦剃すること自体が違法であるといつているので、問題は本質的なものであつて、被告の言うように「出所が近づけば、少々髪をのばせるのだから、自由や権利の侵害は原告が主張する程大したものではない」という相対的、便宜的な問題を論じているのではない。
あくまで、問題は時期の如何にかかわらず、その意に反した強制頭髪翦剃(坊主刈)が違法であるか否かという点に存するのであつて、此の問題が中心なのである。あとの問題は此れから派生するものである。したがつて、此の本質的問題を前提にして論究するのが順序であるにかかわらず、被告の如く、此の本質的前提問題に触れることなく、それを棚上げにしておいて、いきなり便宜論に逃避して、「出所間際には多少伸ばせるのだからいいではないか」というのは、本末を顛倒しているものである。
要するに、行刑上頭髪翦剃問題については、左の通り三箇の問題点が在する訳ではあるが、何んといつても、(二)や(三)の問題に移る前に、先ず(一)の問題を充分検討しなければならない訳である。
(一) 被翦剃者の意に反して強制翦剃することの適否の判定即ち、「本質的問題」。
(二) 丸坊主刈り緩和して、例えば五センチ乃至七センチといつた具合に一定の長さを限度として、翦剃を強制するという、「長さによる便宜的解決方法」。
(三) 丸坊主にはするが、出所に先立ち、充分伸せるように時間的配慮する(六ケ月程前から蓄髪を許す)。即ち、「時間による便宜的解決方法」。
右のうち、原告の主張は、今更繰返すまでもなく、先づ強制頭髪翦剃それ自体が違法であつて、許されるものではないというにある。そして、しかしながら行刑目的達成上(即ち施設管理上)必要があるから、当該目的達成上ほんとうに必要な範囲内で(即ち必要最少限度)、一定の長さに達したらその制限を超える部分だけ強制翦剃することは許される。それを何んでもかんでも丸坊主にしてしまうというのは、到底許されず、行過ぎであつて、違法である。というのである。
勿論、頭髪の原状回復に要する期間が六ケ月程である(どんなに少く見積つても四ケ月は絶対に必要である)というのに出所間際二ケ月以内だけ頭髪を伸ばせるからということで、本件問題を不充分な便宜的解決方法で誤魔化してしまおうという被告の態度は誤りである(被告の如く「時間による解決方法」を選ぶのであれば、何故、出所の六ケ月位前から伸させないのかということになる)。
又、原状回復に要する絶対的必要期間(即ち、満期六ケ月間)以内になつても、なお翦剃を強制するということになると、今度は別の観点による問題が発生することになるであろう(例えば、「頭髪原状回復権」の行使の妨害として、職権濫用の疑の如し)。
一〇、「頭髪を強制的に刈ることによつて確保される監嶽における衛生、紀律、保安の維持という効果は大きく」について。
此の被告の主張が、如何に針小棒大的乃至事大主義的コジツケの典型的なものであるかということについては、もう多くを述べる必要がない。
衛生、紀律、保安のいづれの目的達成のためにも、坊主刈りにしなければ他に方法がない訳ではないし、又、本来坊主刈りにしなければならない程の必要性もない。一定の長さを限度とした蓄髪制度で、充分に、衛生、紀律、保安の目的は達しうる。此の限界を踰越したところの坊主刈りになるものは違法である。本件事案審理上の一つのキーポイントは、実に此の点に存する。
一一、「受刑者の頭髪を強制的に刈ることによつて受刑者の受ける自由、権利の制限とそれによる監嶽における行刑目的達成とを比較衡量するとき、前者は後者のための合理的な範囲内での制限といいうる」について。
此の被告の主張は、「人権の尊重と行刑目的達成上必要との二者間の調和的統一点が即ち坊主刈りである」というのであるが、何回も繰返す通り、此の被告の主張は誤りである。此の二者間の調和的統一点とは、原告の主張するように、「一定の長さを限度とするという条件の下に、蓄髪を認めること」であつて、此の外にはあり得ない。
したがつて、右の被告の主張は、此の二者間の比較衡量に当り、後者を追うに急に過ぎて、為に前者の尊重を忘却したものであつて、その間の権衡を無視した誤つた所論である。
一二、「受刑者に物理的強制力を加えて頭髪を刈ることも許している」について。
受刑者が、社会通念上正常であると認められる程度の蓄髪をしている限り(即ち、世間並みな頭髪をしている限り)、物理的強制力を加えてその頭髪を翦剃することは、絶対に法の許すところではない。
そんなことをすれば、「特別公務員暴行陵虐罪」を構成すること勿論である。此の点被告の主張は抽象的でははつきりしないが、五センチや七センチ位の長さでしかない者に対し、物理的強制力を加えて翦剃することは、許される筈がない。此は自明のことに属する。
一三、「説得或は懲罰等の間接的(心理的)強制力により頭髪を刈ることが可能な場合には、その方法によるべきである」について。
かような、間接強制といえども、既に残刑期が、頭髪の原状回復に必要な期間程度しかないもの(例えば、現在の原告。原告の満期は、昭和三八年一〇月四日で、あと六ケ月未満しかない)に対しては、許されるものではない。
残刑期が六ケ月以内になつた者には、「頭髪原状回復権」が発生し、反面、これに対して、その者に対する刑務所(国)の「翦剃権」は消滅する。監嶽法第三六条及び監嶽法施行規則第一〇三条は新憲法下における解釈として、少くとも右のように解されなければならない。